かないみき 2003.09
「カナイミキズイヒツ.4」
見えない存在と見える不在


ドッカリ疲れた仕事の帰り道、「すすきの」の夜はいつもと同じで、のっぺらぼうに
明るい。駅前でチラシやティッシュを配る若者たちはクルクルと踊るよう。モーヴァ
ンの音を、耳にぴったりとくっつけるわたしは勇ましく歩こうとする。
たくさんの思いは未処理のまま、机の上にたまった書類のように手のつけようはなく、
たやすく忘れてしまえそうにもない。
「イエス」か「ノー」か?
「ホント」か「ウソ」か?
そんな質問は真っ黒なごみ箱へポイ!
けれど疑問は残るばかりで、ご飯はのどに引っかかるばかりで、それでもベッドの中
では一生懸命に眠る。目を閉じれば、今日一日のお世辞と謙遜、嫌味と皮肉と羊が部
屋を飛び回る。

ヒトにはそれぞれ、モノの消化の仕方があるだろう。
真砂雅喜は自分の中で消化できないモノを作品として提示するという。
それが今回は「戦争」であった。
暗闇のなか、椅子に腰掛けた若者が4人、等身大の映像でプラハの白い壁に浮かび上
がる。そこは暗くて、表情は全く分からないが、その仕草から嫌悪感や恐怖感は伝わ
る。よく耳を澄ますと、微かに戦争に関するナレーションが聞こえてくる。
シナリオはこうだ。真砂によって4人はスタジオへ呼ばれ、「戦争」に関するドキュ
メンタリーを見せられ、その間彼のカメラが4人の様子を捕らえる。
「情報」としての戦争に反応する彼らを見るわたしたち。その戦争はマスメディアに
よって加工されたモノであり、さらにわたしたちが目の前にしているその映像は真砂
によって加工されたモノだ。
いや、しかし彼らが見せられた映像は本当に戦争に関するものだったのだろうか?も
しかすると、違うのかもしれない…。ホラー映画だったのではないだろうか?爬虫類
に関するドキュメンタリー?笑えないコメディー?それとも、何も見ていなかったの
かもしれない。
真砂と4人だけが知っている。
「戦争」がキーになった作品だが、そこには戦争反対という正義感もなければ戦争賛
成という正義感もない。それを創り出すマスメディアを分析するでもなく、さらなる
状況を付加している。

「ホント」か「ウソ」か?
それは自身の選択で、他の誰かが決めることではなく、信じることですらないのかも
しれない。今回の展示のタイトルは「存在の不在」だ。暗闇のなか、消えては現れる
4人にその言葉を重ねて完結することも、注意深くナレーションを聞きあて「戦争」
について考えることも、それぞれの選択の先に存在する。そしてそこには常に、作家
のコンセプトの「存在の不在」もあり得る。そうなると、情報を選択することも、実
際に自分の目の前で起こっていることを判断することも、ひょっとしたら違いはない
のかもしれない。
その昔、「湾岸戦争は起こらなかった」と宣言して総好かんを食ったボードリヤール
や、「じゃあ、湾岸へ行ってみればいい」と揶揄したサイードは、真砂の作品をどう
受け取るだろう。


かないみき
アートライター

真砂雅喜"Absence of Existence"-存在の不在2003.6.14-6.22カレンダーへ>>>
top↑