かないみき 2003.06
「カナイミキズイヒツ.3」
あの日のイメージ


いつだって、アブストラクトなコップの中で、カタチだけが泳いでいる。プカプカと。
それを知らん顔で、わたしは遠くへ目をやる。とおく、とおく…。その「遠く」は
思い出なのかもしれない。
わからない。

プラハの白い壁いっぱいに齋藤周の物語がつづく。それは初夏の不思議な散歩道のよ
うで、わたしはゆっくりと誘い込まれ、迷い込む。そして、あの日のことを思い出す。
あの日も彼女は無口で、めったなことでは笑わなかった。わたしたちはある博物館の
庭のテーブルでお昼をした。彼女は彼女がつくってきたサンドイッチを。わたしはわ
たしがつくったサンドイッチを。会話はあまりないけれど、不安のない特別な時間
だった。左に忙しい車の列と排気ガス、クラクションの音を感じながらも、キラキラ
とした光と緑の風は心地よく、葉っぱたちが、ざわざわと音をたてていたことを覚え
ている。それからわたしたちは何を話しただろう。覚えてはいない。ただ、その時の
情景と彼女のうつむいた姿を今でもよく思い出す。

「細かい情感のイメージ」なんて、説明がましいタイトルだとはじめは思ったけれど、
それは几帳面に齋藤の作品にあらわれていた。彼自身の心象風景。こころの中に
思い浮かべる風景は、ぼんやりとしながらも、そこにはいつも、何か、はっきりとした
事実が関わっている。それがものへの情ということにはならないだろうか。

さまざまなカタチを齋藤は選んだ。でこぼこに細長く縁取られた円や、ちぎれた雲の
ようなかたちが薄い黄緑色とクリーム色で塗られ、散在するそれらのまわりで、ワン
ピースを着たおかっぱ頭の小さな女性たちが何かをしている。彼女たちはうつむいて
いたり、後ろを向いているため、表情を確認することはできないが、その仕草は少し
悲しげで、広々とした白い壁を背景に釣り合わず、ミステリアスで困惑させられる。
そこに距離を感じる一方で、一筋縄ではいかないヒトの感情を思う。
「女の子」が好きで、よくそれを題材に描いていた齋藤だが、今は生活をともにして
いるパートナーを無意識のうちにモデルにしているという。「女の子」を描くと、
彼女になってしまうそうだ。ロマンチックにも聞こえるが、日々を過ごす「女性」であ
るパートナーにイメージを占領されたリアルな現状なのかもしれない。「人物をつ
かった抽象画をかけないか」とずっと考えていた彼が、線で単純に表現してみた「女
性」の雰囲気は思いのほか複雑だ。

わたしの物語の中心は、いろいろなカタチの感情で、イメージする人物像はあいまいだ。
それはきっと、でっち上げのできそこないで、メガホンを取っている自分は気づかない
ふりをしているだけ。
それでもあの日のイメージは特別で、実際にはそれがわたしだけのもので、彼女のこころには
存在しないとしても…。

かないみき
アートライター

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