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PRAHA Project 大橋拓 2001.9.6 『現場主義の1つの模索 --環境ごと造るアート-- 』(掲載:フリーペーパーelan) |
美術作家が、純粋に自身の活動(仕事)を発表する“場(環境や状況)”を必要としていることは、 経済的動機に基づいた美術専門のスペースに限らず、日常であったり、私的な域を少し越えた“まち” や“生活”の中に点在するオープンスペースを“足で稼ぐ刑事”の様に探し続けていることと同義と 考えている。自身も、90年代前半に美術作家 牛波(ニュウポ)氏が名古屋で無重力絵画を、落下す る飛行機の中の“宇宙アトリエ”で制作したのをTVのニュースで見たとき、“やはり時代来たか” と思った反面、“身近でリアルな環境”への意識も大きくなっていった。 ここでは、PRAHA Projectが今年関わった“身近な計画”を中心に、パブリックなスペースと、ア ートの発表の“場”としてのオープンスペースを差別化しながら、日常的な所にも制作の“場(環境 や状況)”や、発表の“場(環境や状況)”が点在していることを考えていきたい。また、あえてオ ープンスペースとしているのは、借景できる隣家の庭であったり、道路であったり、交通公共機関の 中であったりと、日常の生活で自動的に遭遇してしまうシチュエーションの事を私有、公有の区別な く、拡大解釈しえるすべての状況を前提として“環境ごと造るアート”を発表の“場”として捉えた いためである。より多くの人に目撃される事を期待するあまり、パブリックなスペースを発表の場に 選んだ美術作品は、無害かつ安全でなくてはならなくなってしまい、美術作家の本義をどこまで再現 することができたか疑問を残し続け、設置された作品が社会的物議を醸し出さなかった日本において はパブリックなスペースと社会との相互作用さえも別のものに感じてしまう。“都市計画”や“まち づくり”のツールとして期待されていたアート・プロジェクトは、社会(都市や地域)へのどこまで 浸透できたのか、あるいはツールとして貢献しなくてはならなかったのか、もしかしたら、そんなこ とに貢献する必要はそれほどなかったのだとさえ思う。パブリック(=無害かつ安全でなくてはいけな い)の概念は、ここで言うオープンスペースの中にこそ日常的で実践的な作品の制作と発表の仕方か ら考えることで、もう一度考え直すことができるだろうと期待している。 最近では、PRAHA Projectが企画協力の形で関わった計画で、北海道、函館にあるまちづくり公益 信託「函館からトラスト」の助成を得て『LOPPACO (ロッパコ)』(企画名でありユニット名)とい う企画が、町並みの再生と保存や夜景で知られている観光都市、北海道函館市を背景に2001年8月24. 25.26日と3日間、実施された。まちづくりに直接貢献するというよりは、情緒あるたたずまいの中 での展開が検討されたように思う。『LOPPACO』は、札幌在住の若手美術作家6人(宮島宏美、久野 志乃、野上裕之、川村亜水、武田浩志、小川陽)が中心となって、まず今年は、「函館のまちと再生さ れた民家」を使った展覧会を彼らが企画し、できるだけ函館(現地)での制作と発表をすることを目的 として始まった。個人的には函館在住の美術作家と一緒に“展覧会の環境ごと造る”ことも期待してい たが、会場のご近所の方々の人の良さに、インタラクティブな感が大きくなっていった様に思う。 初めにこの話が来た時点で、あまり会場にこだわらない事、交通(函館は道路占有面積が多いため)の 事、札幌の人と函館の人と一緒に造っていく事、昼と夜(夜景)の意識は高いかもしれない事と、欲張 って4つのことを前提にしたいと考え、『LOPPACO (ロッパコ)』にも提案した。 まず、彼らが6人のユニットを組んだ時点で、気になっていたのは、“ユニット”に対しての認識をどの ようにもっているか、であった。“ユニット”とは、それほど拘束力を持たず、個々の活動(作品)の 指向にも制限を持たない、6人それぞれが個々の活動を『LOPPACO』とは別に持っていて、今回は “函館と札幌”で考える志向さえ彼らの中で共有されていれば“ユニット”は成立すると考えた。“コ ラボレーション”とは違い“ユニット”の中では、相互作用が期待できると考えていて、志向が一つあ れば、後は個々の活動の関係が曖昧でも良いのではないか、と、無責任かもしれないがかえって曖昧な 所に期待してしまっていた。“函館と札幌”で一緒に考える志向のとっかかりとして、強く『LOPPAC O』に提案したのは、何がどこまで決まったか“函館と札幌”に発信することであった。ネット上のホー ムページではなく。結果として『LOPPACOレター』と言うフリーペーパーを実施に向けて3回出すことが できた。アートユニットが陥りやすいであろう一つの志向へ対する無責任感が、この現実的で具体的な作 業をとおして、どこまで制作や実験が進んでいるか、6人が互いに理解することができ、活動(作品)の 相互の作用が発生するかもしれないと思っていたからで、6人の中での相互作用を期待することは、函館 と札幌での地域同士(都市同士)の相互作用を期待ていること、同じパースぺクティブの中にあることだ ろうと考えている。スケールの違いを無視して6人の相互と、函館と札幌の相互を同次元で捉えていきた かったのは、“環境ごと造る”意識は“相互”から始まるのだと思ったからだ。もちろん、『LOPPACO レター』は、6人が準備期間のほとんどを札幌で過ごすため、函館の方々に対して「函館の方と一緒に考 えていきたいこと、発見していきたいこと」と「徐々に確定していく具体的な内容が見えてくる課程」を 発信する事にもなるのだが、結果として、“環境ごと造る”ことのシュミレーションになりえた手段だっ たに違いない。『LOPPACO』メンバーが現地に滞在できたのは、長い者で三週間ほどしかなかったが、 会場となった、再生された旧民家も、6人にとって、場所ごと造るスケールに適していた。 物理的に、場所ごと作っていくことのリスクは美術作家にとって大きいものがあるが、民家の掃除をしな がら、展覧会の企画を立てていくことは、現実とコンセプトの双方性をもって展開されることであって、 作家の活動の本義を越えていく良い意味での可能性を、先ほどから提示している“相互”の意味も期待値 に入れて計画を立てている美術作家も出てきていると言える。6人にとって、“環境ごと造る”が展覧会 場の意味を、人というファクターと接する場として捉え、ファクターの介入があって作品が成立する方向 に一つの志向が統一されていったのだろう。中でも、交通パフォーマンスを函館市元町地区で展開した野 上裕之の「リンタクにーちゃん」は、自転車の後部座席をベンチに改造した三輪車で、昼は人を運び、夜 は移動しながら発電し函館の夜景の小さな一部を形成するものだった。明治時代から大火の続いた函館の 防火道路網を無視して人(函館にくわしい方、会場の近所の方、ニュースを見て来た方)を運ぶことによ って各個人が持っている断片化された、ステレオタイプになっている函館らしさやたたずまいを合成し再 現していくことになる。極めて個人的な情報から形成される“函館らしさ”の再現と同時にそこで生活し ている方々の記憶を引き出すきっかけを体現するパフォーマンスだったと思っている。スケールに違いは あっても、この“函館らしさ”の境界線が、パブリックなスペースの境界線を無視して新たに認識された ところに、“環境ごと造るアート”の概念があると感じた。久野志乃の「ホスピタブルな夏」なども、久 野自身がお年寄りに扮して、彼女が年をとってしまった分、観覧者の肩たたきをしながら思い出話を聞い ていくもので、彼女のこれからの数十年分の経験を埋めてもらうパフォーマンスだった。このように、彼 らの活動の目的は、美術らしさを啓蒙していくような傲慢な活動ではなく、よりファクターの介入とファ クターへの浸透を考え、よりドメスティックな活動を確実に、限定された地区を中心に提案していくこと を大切にしていた。彼らのこの夏の活動は、“場所”ごと造る意味が、“状況”ごと造っていくことにシ フトすることができたと確信している。是非、まだできていないドキュメントを期待するとともに、また、 来年も『LOPPACO』を実現できることと、彼らが造った環境が進化することを期待している。 もう一つ、アドバイザーという曖昧な関わり方をしている進行中の企画、『Art net』(学校めぐって 出張アート)が札幌に有る高校を展覧会場として開催された。これは、90年代に村上タカシ氏が企画した 「IZUMIWAKU project」の様に中学校を美術館化する事が目的ではなく、大学生を中心とした美術学生 と美術作家が、高校に自身の作品を展示していく計画で、現在も札幌市内を中心とした高等学校に展示の 呼びかけを行っている。まだ、第一回目の展覧会が北海道札幌開成高校で2001年6月18日〜21日に実施さ れたばかりだが、高等学校には高等学校の機能と環境があり、その年齢の制限された人口密度の高い空間 も高校生にとっては、学ぶ場所であり、生活の場所である。校舎の中に大学生が中心となって組まれたA RT netメンバー8人と有志で参加した美術作家9人の合計17人の美術作品を持ち込むことを、発表の場と した。高等学校にとっての日常の中に、『Art net』の様な計画が展開されていくことを非日常な刺激とし て高校の美術の先生や校長先生に解釈して頂いて実現することができたわけだが、実際には、高等学校側 が期待していた“非日常な刺激”に対して、『Art net』が志向していた、「高校生にむけて美術は身近な 所にあって、もしかしたら校則のなかにも、可能性があるかもしれないよ」と、優しく問いかけて行く様な “美術の日常化”のギャップは、大きかった。美術は、美術館の中だけには存在しないことと、デリバリ ーすることで、小、中学校の美術の時間に美術が嫌いになってしまった高校生にもわかってもらいたかっ たのだと思う。このボランティア精神は少し啓蒙的ともとれる動機にも感じたが、小学校で行われている 美術のワークショップとは違い、近隣や地域、父兄の方々との関わりも薄い高等学校にとって、こと、進 学校になればなるほど、大学受験のためにある高校生活になりがちだったことが彼らの実体験に基づいて いるものだろう。彼らには、この多感な時期が、もっとも美術が非日常になっていく時期に感じていたの かもしれない。実際に高等学校側から提示された展示方法も、場所が水飲み場、玄関の下駄箱、廊下と、 高校生活において、必要だけれども通過点にしかすぎない、授業や学校の中に深く関わっていく場ではなかった。 つまり、休み時間、放課後といった時間に目撃してもらいたい、というよりはまず、発見してもらいたい 状況で、各人の作品が展示された。この、高等学校にとっての安全地帯では、実は、高等学校の中に点在 するパブリックなスペース(といっても各学年同士でも交流の少ない)と、アートの発表の“場”として のオープンスペースを探すことは、大変な作業だったと思う。成果、というより高校生の反応は会期中に おこなわれた『Art net』と高校生の交流会の記録ビデオで、うかがうことができた。そして、『Art net』 に対しての質問と好奇心の内容から、明らかに、学校の美術の授業では教えてもらえない部分の可能性を 感じ、彼らにとっての日常の中に放置されていたことを発見できた楽しさが有ったに違いない。この計画 も、まず札幌市内の高校を数カ所に渡って展示していくことを前提として始まったが、高等学校側が期待 していた“非日常な刺激”にどこまで答えれるかは保証のないところで、第一回目の開催に向けて札幌開 成高校の齋藤周氏の開いてくれた突破口を『Art net』が継続していくことを期待している。 近所に現れる美術、高校生活の中に現れる美術と、どちらも目撃してもらうために実践された“環境ご と造る”試みだったと思っている。パブリックなスペースは、およそ人の目に触れる所に存在し日常化し ながら拡大し続け、メディアの中にも、地球外空間にも無害でなくてはならない倫理を加速させている。 ここで仮定したアートの発表の“場”としてのオープンスペースも人の生活範囲と共に拡大しつづけ常に 遭遇することのできる不特定の“場”の中から、美術作家が自身の活動の行方を探し続けることが、“環 境ごと造る”現場のなかで模索されることを通して新しいパラダイムを構築している。 美術が新たな境界線を引いていくことで、およそ人の目に触れることのなかった存在が、目撃されてい くのだと期待している。 |
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