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高澤美子 2003.3 『「小さなユクシセムの展覧会」セドリク・ヴァン・エノー』 Moderateである |
なんとなく以前から少し感じていたことがあって、 それは日本人と西洋人の作品のもつ「雰囲気」みたいなもの、 見る人との心理的な距離感(のようなもの)の違いって一体なんだろか?! ということなんです。 例えば楽器で比較すると、日本の楽器はせまいおうちのなかで奏でるので、 そんなに大きい音がでなくてもいいつくりだったりするものが多かったりする。 また、西洋は建物も大きく室内の音の反響もあるので音を大きくだそうという方向で 楽器が発展していってる。ピアノなんかはいい例ですね。 もう少し考察してみますと・・・ 例えば前者だと、まずそんなに大きな音で奏でなくてもよいということは、 自分をアピールするというよりも「控えめ」な印象がありますし、また、 建物の大きさから考えると、自分の好きなものを自分の「手の届く範囲」に集めて楽しむとか、 または身近な知人友人なんか数人集めて楽しむとか、ニュアンスになるんですけど、 「楽しむ範囲」がわりと「そんなに広くない」というかそういう「ノリ」がするんです。 表現が強引でうまく伝わるのかちょっと不安ですが(笑)、 また、後者だと楽器の場合、音を大きく鳴るようにする=多くの人に届ける、 また大きい音を出すということは自分を誇示するといった意味合いもあると思われます。 より強く自分をアピールすることができると思うんです。 楽器の発展した年代からだと古くは16世紀頃くらいからの話しになりますが、 そんな昔のころからすでに日本と西洋の表現方法って違っていたんだろうなと。 そういった楽器の発展のしかたと直接なんらかの関係があるかないかはさておき(笑)、 私はアートもそういう点では同じかもな、と思うわけです。 今回のセドリクさんの作品には、そこはかとなく この例えによる日本チックなにおいがするのです。彼はフランス人です。 会場に入ると正面にビデオ作品が、その左側には壁一面に四角く光りが写っており、 壁には小さななにかがくっついている。 「たまごっち」というゲームがひと昔前に流行っていましたが、 この左側の作品の壁一面にちらばってくっついているものをよく見ると、 それを思わせるかわいいキャラクター(?!)達なんですが、まるで「虫さん」みたいです。 少し離れてみるとその小さな「虫さん」達が動いているような錯覚に襲われますが、 それは壁一面にテレビの画面のように赤青緑のつぶつぶでうまっていたためです。 (光の三原色ですね) ますますゲームな雰囲気を醸し出させているように思われます。 その前に立つと、おしつけるようなメッセージ性みたいなものなどは感じられず、 かわいい「虫さん」達を、ただかわいいと思えるような、 自分の中の内向的な部分を思い出すような、そんな気持ちになる。 そういうことも含めて、ひょっとするとこの作家は日本文化への憧憬なんかも あるのかもなと思わせる、そんな「控えめ」な作品の印象でした。 |
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