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PRAHA HISTORY
1961年
仲村病院として、1階は診察室と病院長家族の居住スペース。2階は病室として建てられる。
1階240.03 2階153.09
1987年
2階部が(株)柳田石塚建築計画事務所となり、1階部は柳田良造の提案で、アートの共同アトリエとして、
「PRAHA」が開設される。
1989年
端聡(美術作家)、小林重予(美術作家)、柴田尚(アートディレクター)、植村桂弘(写真家)、
柳田良造(建築家)、等、共同アトリエの作家が中心となって、1年に1回程度(8月〜10月)の「住民主体イベント」を開催。
「PRAHA」=建物の名前であり、住民体(ミクストメディア集団)の総称となる。
1990年
小室治夫、露口啓二など、多数の写真家の参加も有り「PRAHA’90」が開催。
プラハ実行委員会(共同アトリエの作家主体)が発足。
1994年
chibashi(千葉晋也)が中心となって、Free Space PRAHA(PRAHAの展示室)を中心に、
札幌でおこっている美術、音楽、演劇などの情報発信をする。
また、1996には、「SAPPORO CAFE」(色々な人達がおしゃべりできる場(=カフェ))を提案。
1997年
木村友弥恵、高瀬美紀子により、Free Space PRAHAが運営される。
1998年
大橋拓が中心となって、PRAHA(建物の名前)を拠点に、アートの実験と環境づくりを実践する計画(集団)
PRAHA Projectが発足する。
    

2000年

PRAHA Projectが中心となって、PRAHA1階の再々生計画、「PRAHA・リセット・ Project」を実施され、
アーティストに向けて、製作と発表を目的としたPRAHA studio(9室)を提案する。