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2002.813〜8.14 よしちゃんデメーテル紀行

*五感で見ようデメーテル*
入場してびっくりしたのは「そのまま」ということでした。
馬小屋もなにもかも競馬場そのまんまの会場の中を入っていって
作品をみつけだす、探し出すといった印象をうけました。
それとあまりの広さに戸惑います。
「どっからみるのかな〜・・・木の道を通ればいいんだ」って
気がつくのに少しかかるくらい。

帯広の空も広い
馬小屋の中に作品が展示してあることがとても自然にかんじられました。
馬小屋のにおい、ほこりっぽさ、小屋をでたときに感じる陽の光、風のつめたさ、遠くでとんでる飛行機の音、
鳥のさえずりなんかが作品といるのが普通に感じるな〜と歩きながらぼんやり思いました。





これはオノ・ヨーコ氏の「Sky TV」です。
なんの小屋かはわかりませんが、こんなところにもこっそりいます。
いたるところにテレビがいますが、どのテレビをみつけても
そこにある「空」を見ていると自分だけのもののように思ってしまう。
プライベートビーチっていうのがありますが、それの空バージョン。
地球上ならどこにいても誰でも見れる空が目の前に小さくあると
「空っていいな〜」とただでさえ思うのに、ずっと見ていると
「空」があることを忘れないでいようと何となく思えてしまったです。
私のムネをワシづかみした作品です。

その日の帯広の空
テレビの近くにあるシールを集めるのはことのほか楽しいですよ!!
デメーテルに行ったら絶対やってみよう!



キム・スージャ氏の「物乞いの女」です。
中に入るときに画面に近寄って下さいといわれたので、
「どうしてかな?!」と思いながら中を進んでいくと
画面に近づくと映像の中に自分の影が入る。
特に「ホームレスの女」という作品の中の寝てる女性に群がる人々と一緒に
自分もその女性をみているような錯覚をする。
そのことに気がつくとなんともいえないバツの悪さといおうか、
ただ離れて映像をみてるだけでは「なんだ、ふ〜ん」っていう感じが、
その女性を取り囲む野次馬と自分が同じになってしまったことで、
自分に嫌悪感を感じてしまうのである。
ぜひ近づいて見て下さい。バツの悪さを感じよう!

遠くで四角く光ってるのは画面



わらの中の白いものが馬の置物です


インゴ・ギュンター氏の「中国製、インド製、タイ製、その他原産国不明の馬たち」です。
実際に馬が入っていたであろう場所にちっさいちっさい馬の置物が
わらの中にちまんと置かれている。
ユーモアというか、小さいときに人形で遊んだ時の頃を思い出してしまう感じというか、
NHKの人形劇みたいです。すいませんうまくいえません。




同じくギュンター氏の「馬にういての脈略のない想像の現代キッチュ風シャドーレタリング」です。
かつてそこにいたであろう馬たちの亡霊、もしくわ歴史の断片。
中に実際に入って見るとまるで「朝のバロック」(NHK FMの番組)をうっかり早起きしたときに
聞いてしまったような神聖な気持ちになります。(わかりにくいですかね)

馬小屋の中の個室?!の地面に馬の影がぼんやり浮き出る(これは馬の骨の影)

写真はないですが「時折、形を成す中小210の断片」は、
金箔をはった馬の骨を天井からつり下げて風にゆらめく様を扉の隙間からのぞく作品です。
馬の骨だそうですが、頭蓋骨の形のせいか恐竜の骨のようです。
扉の隙間からのぞくと、なにかとんでもないものをこっそり見てしまって、見てはいけないものを偶然見てしまったときの
申し訳なさと恐ろしさ・・・後ずさりしながらもなお見てしまう・・・感じです。




このお馬さんに乗って遊ぼう!
川俣正氏の「不在の競馬場」の「馬」です。
このほかに映像作品もあります。
ばんえい競馬をスローモ−ションで見せてるものですが、ちょっとせつないです。
馬が小屋をでて競争してまた小屋に戻るという流れを繰り返し繰り返しみせられます。
そうすると最初はなんだかユーモラスに感じていたのが、
だんだん「うまのきもち」っていうものを考え出したりして。
ずっとみてるとそのうち遠い昔のことのようにも思えてきます。不思議です。
この作品の隣の馬小屋には木の通路が中を通っていますが、
そこを歩くと、わらもなくて土をほうきで掃いた形跡だけがあって
「しーーーーん」という音が聞こえてきました。




これはカサグランデ&リンターラの「ダラス-カレワラ」の
作品を展示してる馬小屋の前にあり、実際に二人を乗せて走ったきた車です。
近くで見るともう10年以上は走ったな、と思わせるくらいの車で、
二人の旅のすごさを感じました。




これはniALL Projectの会場のほぼ真ん中にある家です。
この「家」の中のソファに座って外を見ていると、窓にいつもあるはずのガラスがない。
「外」と「内」を分ける境界線がないので自分のいる場所から
そのまま外の風景に自分もつながっている感じをうける。
家から外を見ると「風景」という意識があると思いますが、
はっきりわける境界線があいまいだと「内」も風景のように思われ、
家や、そこにいる人であっても街全体を作り上げる風景にほかならないわけで、
そういう一つ一つが全体をつくるんだというのを改めて考えました。
生活ってとてもプライベートだけど実はそうではないのかも・・・
「区別」しながら「共有」してるのかも、そういうことを思いました。
同時に頭の中は「POWER of the TEN」状態でした。どんどん広がっていく〜。
(*椅子で有名なイームズ氏の映像作品)(これもわかりにくいですかね)



作品をみてまわっているとよく耳にしたのが「なんだかよくわかんないけど・・・」っていう
おじさまおばさまアンドモアの声です。
私がタクシーに乗ったときも
「どこからきたの?」
「札幌からデメーテルっていうのみにきたんです」
「あ〜あれ、よくわかんないよね〜
よくわかんないのが芸術だ、なんつってね〜(笑)」
っていう会話もしました。

なんで「わからない」とおもうんでしょうね〜
芸術って「わからない」といけないものなのか?!と考えました。
別にどっちでもいいんじゃないのかな・・・・
それよりも、その作品の前に来て自分がどういう気持ちになるのか、
どう感じるのかっていうことを知るほうが楽しいな〜。
「わからない」ときはなにか自分にない刺激をうけてるときのように思う。
多くの人がそういうなにか感じる間もなくさっと見てさっと立ち去る。
もったいないな〜
これ楽しいな〜なんか気になるな〜これ好きだな〜と思ったら
じっと見つめていいのにね〜
そういうことをあらためて思いました。
なかなか脳みそはがんこもののようです。



他にもデメーテルにはすてきな作品がたくさんありますが、
特に印象に残ったものを紹介させていただきました。




外観↑

内部↑

*デメーテル会場の外にもいろんな作品がいた!

*野上君の作品

帯広駅の中にあるESTA西館内にそいつはたたずんでいます。
電話ボックスくらいの大きさの中に自転車とテレビ扇風機ラジオ電気などが設置されていて、
まるで落書きみたいな説明文が壁に書かれている。
フムフムそうか、よし!こいでみよう!
自転車にまたがる。まるでモビルスーツのコクピットにはいったアムロよろしく、
「いきまーーーーーす!」「うわーーー」と心の中で叫んでこぐと
意外にもペダルが軽い!いける!と感じてさらにこぎつづけると
電気がついて扇風機がちょっとまわった。やったーーー!とおもった瞬間、
急にペダルが重くなり、北斗の拳よろしく「うがががが」「ぬああああ」などと
声にならないうめき声をあげながらも必死にこごうとするも、
あまりの重さにあっという間に電気が消えてしまう。
電気って結構大変なのね、作るの。


PRA-camp交流室(帯広:ホシビル3F)

小学校のようなArt net会場(帯広:NCアートギャラリー)